X JAPANのリーダーとして、日本を代表する音楽家として有名なYOSHIKIさん。
そんなYOSHIKIさんですが想像を絶する過去がありました。
父親の死。
金スマ出演のときに父親がどんな人だったのか語っていましたが、YOSHIKIさんの今と父親の存在というのは大きく関係していました!
ということで今回はYOSHIKIさんの父親がどんな人だったのか、紅の歌詞に込められた思い、過去の経歴や今をまとめてみました!
YOSHIKIのプロフィール

- 本名 林佳樹
- 生年月日 1965年11月20日
- 現年齢 52歳
まずはプロフィールからですがYOSHIKIさん全然52歳に見えませんよね(゚ω゚)
同い年の芸能人とえば爆笑問題の太田さん、田中さん。
あと岡本夏生さんやヒロミさんさんも同い年らしいです!
今あげた名前の芸能人の方よりも全然若く見える!!(゚ω゚)
と皆さん思いませんか??
それもそのはず!
YOSHIKIさんはロサンゼルスの自宅に筋トレ専用の部屋があり、常に身体を鍛えているらしいです!
最近は首の手術もしたので今までほどの筋トレはできていないかもしれませんが、他にもケアされていることでしょう!
父親の存在

YOSHIKIさんは幼い頃から身体が弱く、よく倒れる子供だったそうです。
そんな倒れたYOSHIKIさんを元気付けさせようとおもちゃを買ってくれて、学校も送り迎えしてくれ、誰よりもYOSHIKIさんに愛情を注いでくれていたそうです。
そしてYOSHIKIさんが体調がいいときなんかは一緒に釣りにも行かれていたそうですよ!
YOSHIKIさんが釣りをしていたなんて想像つきませんが、幼き頃は本当に普通の子供だったんですね!

↑の画像は幼少期のYOSHIKIさんと父親の画像
そしてそんなYOSHIKIさんがピアノを始めたきっかけとなったの理由をご存知ですか?!
それは大好きな父親がしていたからなんです!
ピアノも奮発して買って下さったそうです。
それからYOSHIKIさんはピアノにのめり込んだそうで、音楽を始めるきっかけとなったんですね!
それをきっかけに父親から毎年の誕生日プレゼントはギターやトランペットを買ってあげてたそうです!
その後ドラムも始め、X JAPANのボーカルで幼馴染であるToshiさんとバンドを組まれたそうですよ!!

そして後から知られたそうですがYOSHIKIさんの父親はドラマーになることが夢だったんだそうです!
もうすごいですよね!
ストーリーが小説にできるんじゃないか?ってくらいよくできていて感動です!
父親の夢だったドラマーという夢を叶え、音楽家としても成功したYOSHIKIさん。
父親がピアノをしていなかったら今のミュージシャンとしてのYOSHIKIさんではなかったでしょう。
そんな大好きだった父親の突然の死。
YOSHIKIさんはまだ小学5年生の頃だったそうです。
いつも優しく、常にヒーローのような存在だった父親の死はとても悲しかったそうです。
しかし、いつも優しくしてくれる母親の存在があり父親との死と向き合い、徐々に元気を取り戻したそうです。
YOSHIKIさんが25歳のときにロールスロイスを購入した理由も、父親がいつか乗りたいと言っていたからだそうです。
当時は理由が分かりませんでしたが、本当にYOSHIKIさんは父親のことが大切で大好きなんだなと思ったお話しでした!
紅の歌詞に込められた思いとは?
X JAPANの代表曲でもある紅。
一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか??
とても激しい曲調の紅ですが、実は父親に対しての思いが込められた内容の歌詞なんだそうです!
サビのところの歌詞に
紅に染まった
この俺を慰める奴はもういない
この箇所の慰める奴というのは僕が思うに父親のことでしょうね。
次に
閉ざされた愛に向かい叫び続ける
という歌詞がありますが、ここは父親の死で愛が閉ざされたということでしょう。
このように紅の歌詞には父親に対しての思いが込められており、父親の存在がとてもYOSHIKIさんには大きいんだなぁと感じましたね。
まとめ
YOSHIKIさんがピアノを始めた理由に父親が大きく関係することがわかりました!
父親の存在がなかったら音楽自体していなかったかもしれません・・・
しかし今も首の椎間板の手術をした後も首に大きな負担のかかるドラムをやめないYOSHIKIさんの音楽に対する情熱と愛情はすごいですよね!
まだまだ目が離せないYOSHIKIさんにこれからの活躍に期待です!!
プロのタップダンサーて見に行って結ばれた